いよいよ佳境を迎えてきたNHK大河「真田丸」
戦国時代最後の大戦であった大阪の陣!今年1年は関西は真田丸に沸いた年でした。
大阪のあちこちが真田丸にちなんだ赤いポスターでジャックされたり、様々なイベントが開催されたり!
そこで今回はそんな「真田丸」の中でも、主人公真田左衛門佐信繁(真田幸村)にゆかりのある大阪のスポットをご紹介します!
目次
大阪城
「真田丸の物語の中心、大阪城。」
まずはなんといっても外せない「大阪城」
若かりし日は真田信繁(幸村)は、秀吉の馬廻衆としてそばで過ごしていました。ドラマの中でも、小日向文世演じる秀吉に翻弄されながらも、豊臣家の栄枯盛衰を目の当たりにする信繁の姿が丹念に描かれています!石田三成や茶々との出会いもあり、真田家と豊臣家のあいだで揺れながらも、信繁が大きく成長する時代です。
のちの大阪の陣を前に、幽閉された九度山から抜け出し再び大阪城へ戻ってくる、そんなドラマティックな場所なんですね。
「お前はなぜ大阪城に戻ってきた?」と問われた信繁は「それは私にも分からないのです」とドラマの中で答えていますが、その理由はこの青年期に垣間見えるかもしれませんね。
ドラマに出てくる大阪城は、CGで再現された豊臣時代の大阪城!
現在見ることが出来るのは、昭和に入ってから復興された江戸期の大阪城を再建したものになります!
大阪城が難攻不落なのは、地形(川)と空堀!
出典:http://www.hannan-u.ac.jp/doctor/tourism/kitamura/fqpvga000000aulz.html
この大阪城は北・東・西が川で囲まれており、天然のお堀の役割を果たしておりました。当時は「難攻不落の城」と呼ばれ、秀吉が天下統一を図る拠点となっていたわけです。
とはいえ、父・昌幸が「大きいからこそ必ずほころびが出る」と指摘されていたよう、大阪城の弱点とされていたのが、大阪城の南側。
南側には台地が広がっており、陸続きになっていて、地上から攻め込めるようになっていました。そんな弱い南側も湾曲した複雑な形の空堀を備え、侵入を拒んでいたものの、南東側だけは直線的で突破しやすくなっていました。そこで、その弱点を補うために作られたのが「真田丸」だったんですね。
・HP
http://www.osakacastle.net/
・住所
大阪市中央区大阪城1-1
三光神社
「真田丸の跡地、三光神社」
ドラマのタイトルでもある「真田丸」とは、大阪城の一番南側・平野口に作られた出城。出城とは守りを固めるために造る小規模の城(砦)。真田幸村は大阪城の守りの弱点を見抜き、より強固にするために出城を築きました。そんな「真田丸」の跡地とされているのがここ三光神社です。
大阪城まで通じるとされる地下道「真田の抜け穴」の入り口が残っていて、真実味が一層帯びています。
この「真田の抜け穴」は毎年11月の日曜に開催される真田まつりのときに一般公開されています!
・HP
http://www.sankoujinja.com/
・住所
大阪市天王寺区玉造本町14-90
茶臼山
「家康を自害寸前まで追い込んだ 茶臼山」
(出典:wikipedia 茶臼山ページより)
冬の陣では家康が本陣を築いた場所であり、翌年の夏の陣では幸村が本陣を構えるという、大阪の陣に大変ゆかりのある土地です。
上町台地の中でも標高が一番高い位置に築城された大阪城に対し、南側で向き合う小高い位置にある茶臼山は、地勢学的に見ても本陣を築くのによいことがわかります。
茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)と呼ばれる激闘
籠城戦となった夏の陣に対し、空堀を埋められ打って出る他なかった幸村勢。
赤備えの軍勢が徳川を窮地にまで追い込むのがここ茶臼山。一度は徳川が自害を覚悟したともされています。
間もなく徳川勢が大阪城の落城に成功すると、家康はこの茶臼山に登り徳川の旗印を掲げたとされています。
・住所
大阪市天王寺区茶臼山町1-108
心眼寺
「真田丸の跡地、幸村親子を弔う寺」
(出典:大阪市交通局HPより)
こちらも三光神社同様、真田丸の跡地とされているところに建てられたお寺。心眼寺は真田幸村とその子・大助の冥福を祈るために建てられたと言われています。が、大阪は江戸幕府の直轄地ということもあり、大々的にお墓を建てることまではできませんでした。幸村の死から400年という長い年月を経て、2014年にやっとこの地に建てられました。入口には、「真田幸村 出丸城跡」と記してある石碑が置いてあり、真田家の家紋「六文銭」も刻まれています!
JR・地下鉄の玉造駅から徒歩約10分ですが、大阪城を見てきた後、ゆかりの地を歩いてめぐってみても面白いかもしれませんね。
・住所
大阪市天王寺区餌差町2番22号
番外編:太融寺
都心に眠る、茶々のお墓(淀君の墓)
大阪随一の繁華街、梅田。梅田駅から10分ほど歩き、ホワイティを抜けたあたりに太融寺は位置します。
こんな都会のど真ん中に茶々の墓が実はあるんです。
真田丸のドラマの中でも、竹内結子さんが神秘的で哀しげで、そして小悪魔的な魅力のある茶々を演じていますね。
「私と源次郎は、不思議な糸で結ばれている気がします。
離れ離れになっても、あなたはいつかまた戻ってくる。そして、私たちは同じ日に死ぬの」
その言葉とおり、かつて茶々に翻弄されていた幸村は今度は「守る」立場となって帰ってくる。
そんな深い絆が2人にはあり、真田丸の幸村は茶々の心の拠り所のような存在であったのかもしれません。
太融寺は大阪の陣の落城の際に焼け落ちているという、縁深い寺。
徳川勢に負け、自刃した茶々。別の場所へ埋葬されていた茶々の遺骨は、明治時代にここ太融寺へと移されたとされています。
・HP
http://taiyuji1.web.fc2.com/
・住所
大阪市北区太融寺町3-7
真田丸の時代の地図と比べてみる
(出典:wikipedia 大阪の陣ページより)
いまの大阪には真田丸時代に由来する地名が残っており、また合戦の場となった場所がいまでも名残が残っています。
例えば北側の守り、天神橋口・天満橋口・京橋口や大野治長が守る松屋町口など、そのままいまの地名にもなっていますね!
大阪城の空堀があったとされるところには「空堀」という地名が残っており、空堀商店街など商店街の名前にもなっており親しみもある名前です。
このあたりはブラタモリでも紹介されていました!
(→http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list54/index.html)
「真田丸」時代に思いを馳せながら、散歩してみたり
ゆかりの地めぐりをしてみてもいいかもしれませんね!
赤ー大阪城
黒ー茶臼山
水色ー真田丸跡とされる場所
青線ー空堀跡